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北広牧場

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スタッフインタビュー

創業以来のエピソードから入社1年目のフレッシュな想いまで、
北広牧場ではたらくスタッフの声をあつめました。

若杉政敏 代表取締役

創業からの道のりと未来。
会長と元専務に聞く、北広牧場ものがたり

若杉政敏 会長 / 鈴木弘行 元代表取締役専務

変化に富んだ酪農業界の波を、
志をともにする4軒で乗り越えて。

-1996年に4軒の酪農家が集まって誕生した北広牧場ですが、そもそもお二方の酪農家への道のりを教えてください。

若杉政敏 会長:私は代々新得町で酪農と農業を営んできた若杉家の4代目にあたります。2019年で開町120年を迎えた新得町ですが、それより少し前に先祖が開墾に入っているようです。初代が現在より山奥の上佐幌に入植し、2代目で新得町に移ってきてからが酪農家としての始まりでした。私が子どもの頃は牛5、6頭の規模で、ソバやヒエ、のちにビートや大豆、小豆を栽培する兼業農家でした。
牛屋の息子に生まれたら牛屋を継ぐものと思っていたので、おのずと高校や大学も酪農関係の道に進みます。そして結婚を機に、兼業をやめて酪農一本に絞ることを決めました。もちろん当時は今のような大規模農場ではありません。NHKドラマ「なつぞら」で使ってもらった牛舎を1977年に建てて、北広牧場誕生の1996年までは個人農家として主に家族で運営をしていました。

鈴木弘行 元代表取締役専務(以下、元専務):僕は千葉県出身で、もともと酪農の道を志して畜産系の大学に進学しました。在学中から実習で十勝の音更町に4年間通い、2軒の酪農家にお世話になりまして、卒業後は2年間、派遣農業研修制度を使ってアメリカで本場の酪農を体験してきました。帰国後、その制度のOBである牧場長がいらした新得町の牧場に就職したのち、1988年、広内(ひろうち)地区に新規酪農で入植したという流れです。当時は、新得町の酪農家の皆様から20頭の牛を分けてもらってスタートしました。

-4軒の酪農家の皆さんは、どんなきっかけで一緒にやっていくことを決められたのですか

元専務:それぞれ個人農家をしている時から、数軒の農家が飼料用の畑を共同で運営していて、そのグループに僕も入れてもらっていたんです。そこで若杉さん、高野さん、太田さんという北広牧場につながる3軒とも一緒に収穫作業をしていたご縁から、創立の時に僕も声をかけてもらいまして、よし、やろうと。

会長:新得町は畜産の町だし山ばかりなので、昔から「みんなで頑張ろう」って自然と団結する気風があって、他の町と比べても個人農家より共同農家が多い土地柄なんですよ。そこは今も誇りに思っているところです。

元専務:よその地帯と比べたらちょっと特殊かもしれない。個人で大きくするって考えよりも、みんなでまとまって大きくしようって農家が何軒もあったんですね。

会長:当時はガット・ウルグアイラウンド(※1)など畜産関係にいろいろ変化があった時期で、個人農家だと将来的に人手不足や施設維持がますます厳しくなっていくという懸念がありました。そして4軒とも働く上でもっとゆとりが必要だという想いを共有していたんです。当時はヘルパー組合があって、個人農家でも休みを取れるようになったものの、月一回しか休みがないのが当たり前。私は兼業農家ではなく酪農一本でもちゃんと稼げるし休めるっていうことを周りに示したかったし、共同経営にした暁には目一杯働いて目一杯遊ぼうという目標が他の3軒と一致していたことが、きっかけでしたね。

元専務:僕のところは妻とほぼ2人で牧場を回していたし、今後のことでの不安も大きかったんです。他3軒は経営として成り立っていたけど、それでも家族だけで手一杯な状況で、維持や拡大が難しいという課題がありました。

鈴木弘行 代表取締役専務

会長:もう一つ共同経営のメリットとしては、それぞれの得意分野を活かしてスペシャリストを育てられること。そのポジションはお前に任せる、とお互いに認め合える関係でいられたことが、私たちの強みであり、長く続いてきた理由でもあります。

元専務:先代の社長の高野さん(故人)はものづくりや機械に強かったし、若杉さんは繁殖の知識や経験が豊富。現在、新得町の農協代表理事組合長である太田さんはリーダーシップがあり、トップとして方向付けをすることに長けていた。僕は飼料管理が好きだったのでその部門を任されたりと、いい意味で四者四様だったんです。

会長:始めた時は周りから「あんたら仲良いんだね」って言われたけど、共同経営は仲良いのとは別なんですよ。それだけではやっていけない。

元専務:そんな仲が良いわけでもないかな(笑)。

-お互いの良いところを活かし合える関係性だったんですね。

 

牛の健康と働く人の健康。
創立以来変わらない、北広牧場の根幹

-設立当初から現在のように大規模な牧場としてスタートしたのですか?

元専務:4軒とも、もとは繋ぎの牛舎で牛を飼っていました。設立にともなって規模が拡大したので、当時考えうる中での最先端であるフリーストール牛舎(※2)と搾乳のためのミルキングパーラー(※3)を導入しました。 400頭が入る牛舎を作って、最初に持ち寄って入れた牛が130頭。そこから毎月10〜20頭と増やしていって、1年後にはいっぱいになる規模で飼っていました。繋ぎとフリーストールでは環境が全く違うので、それぞれ向いている牛のタイプが異なるんです。

会長:だから、フリーストール牛舎に合う牛をつくるという理由で、うちは自家授精に力を入れてきましたね。

元専務:現在の牛の頭数は約900頭、パーラーで搾乳する乳牛は約430頭で、現在搾乳が1日2回。3回搾乳する牧場が主流な中で、そこは僕らのゆとりにつながっているかな。ただ、そのタイミングや回数は人間の都合ですけどね。より進んだ形ではロボットの搾乳機が出てきていて、その方が牛の好きな時に好きなだけ搾乳してもらえるから、牛のストレスはより少ないんです。

-牛のストレスといえば、大規模な農場では課題になることが多い点かと思います。お2人は、長年付き合ってこられた牛をどのような存在として捉えていますか?

元専務:家族っていう思いもあるけど、経済動物だという割り切りをしていますね。経済動物であっても、ここの牧場にいる限りストレスを出来るだけ少なくさせてあげたいし、美味しいものをいっぱい食べさせてあげたい。牛の持っている能力を最大にして生き生きと暮らせる環境を作ること。それが、僕らが自分で酪農のプロフェッショナルだと言いきれるかどうかのラインでもあると思います。
昔は人手が足りなくて、ハンディキャップのある牛に手厚くできなかったり、寝床から牛を立たせるのも一苦労だったりと課題が多かったんです。今は機械を導入し改善したことで、立たせることひとつとっても、30分かかっていた作業が5分に短縮されました。そうして時間ができることで、職員が牛の不調をより細かくチェックできるようになったんです。

-なるほど。現在の北広牧場の理念「牛も人も幸せに」は、創立時からの理念「牛も人も健康に」をもとに生まれたそうですね。

会長:そうです。それは基本中の基本。まず牛を健康に育てて、なおかつ働く人間が健康であるということが、牧場運営の大前提です。酪農家は牛と土を育てる。良い牛乳をつくることは良い乳牛を育てることですから、そのためには人が無理のない環境で働けるのが大事。その牛や人の「健康」を「幸せ」に変えたのは時代の流れでしょうし、ゆとりが出てきたのかなと思いますね。

元専務:幸せって得られるべきもので、健康じゃないと幸せじゃないでしょう?本来の幸せという意味を考えるとしっくりくる、いいスローガンだと思います。

-では、4軒で共同経営することの難しさや、特に苦労されたことを教えてください。

会長:苦労ねえ。人材不足はあったけど、われわれ4人が常に同じ方向性で一緒にやってこられたし、そこで誰か1人が飛び出てしまうこともなかったのは、先代の社長がうまく手綱を握っていてくれたおかげだと思います。北広牧場をスタートしたときは赤字経営だったけど、当時たまたま畜産業が右肩上がりだったおかげで、コツコツと15年頑張ってここまで来ることができました。苦労したっていうより、4人で好きなことをやってきてよかったなって思っています。喧嘩するときもあるけどね。

元専務:苦労したことは何もないですね。日々一生懸命やっていたってだけ。ただ、時間の制約や人手の足りなさからすぐは叶わないけど「いつかはこういう牧場になっていくだろうな」っていう漠然とした夢が僕にはあったので、そこに少しでも近づきたいという思いはありましたね。
それが今、二代目になる息子たちがリーダーシップを取り始めて、次のステップへ踏み出すというときに(若杉)真吾が「日本一の牧場を作りたい」って言い始めて、びっくりしました(笑)。僕はそんなこと思ったこともなかったけど、そこで少しワクワクした自分もいて。
「僕らは負債を抱えながらも頑張って、酪農で食べていけて経営としても安定している牧場にした、これでいいんだ」と思っていたのが、彼らはその先の目標に向かって手探りしながら地道に変革を続けているし、実際に牧場もよくなっていっている。それを見ていると、ひょっとしたら夢が叶っていくのかもしれないなと思うんです。

会長:私が昔「世界三大企業のひとつになる」って言っていたんですよ(笑)。

元専務:僕はそれ知らなかった(笑)。

作業風景

 

新しい世代へ継がれる想いと大きな変化。
未来の酪農を担う、若く柔軟な力に期待。

-では、真吾さんをはじめ、息子さんたち世代が始めたさまざまな北広牧場の変革について、お2人はどんな風に見ていらっしゃいますか?

元専務:4年前に日本一の牧場を掲げて以来、真吾たちは採用や人事制度も勉強して、だんだん職場の環境を整えていきました。より良い一流の企業に近づけるべく人事制度のシステムも一新した。新しく入ってくる若い人たちが安心して働ける環境をつくったんですよね。
これまで僕らが知るような牧場は「人は入ってほしい、だけどどうやって教育すべきかわからないし、俺の背中を見て育て!」という職人気質なところが多くて、せっかく人が入ってもやがて辞めていくパターンを繰り返していました。だから人事制度を確立させることで「この子はこうやって成長していってもらおう」という方向性を決めて、それを周りにも伝えていけば、僕ら年長者の固い頭でも理解できる。それは、これまでになかったことですね。

会長:息子の真吾とは今後の方向性について、初めかなりぶつかっていましたね。昔はうちの規模の牧場なら12、3人体制で1日14〜15時間働くのが当たり前でしたが、今の時代は無理です。私たちは好きでやってきたけど、若い人が牛を好きだったり、酪農に憧れてうちに入ってくれても、職場が3Kでは現実とのギャップが生まれてしまう。そういった、息子たちにとっても「これはこのままではいけない」と思ったところを、彼らは変えていっています。「親世代は好きで共同経営を始めたけど、俺たちは違う」と思っているだろうから、酪農を志す若い人たちの気持ちをよりわかってあげられるのかもしれない。

元専務:若い子は叩きたくないですね。下からちょっと炙ってあげるくらいがちょうどいいかな(笑)。それで上にポーンと出す。

会長:私もいろんな人と接してきたけど、昔から若い人たちからはヒントをもらうことが多くて、その継続で現在があると思うんです。今も本当にいい子が集まってきてくれて、牛への考え方や接し方を始め、われわれが忘れていたことを思い出させてくれるんですよ。本当に感謝しています。

-伺うほどに、これからの北広牧場の展開が楽しみですね。最後に、北広牧場の未来のイメージや、これから入ってくる若い人たちへのメッセージをお願いします。

会長:会社のあるべき姿として、いかに働く環境を良くするかが第一だと思っています。それはどの職場でも同じだし、中でも人間を扱う仕事が一番大変だと思うけど、同じ生き物だとしたら牛とも同じですよね。どちらも環境を良くすることで、相手に対して上手に接していくこともできるはずです。

元専務:息子たちに期待するのは、もう今そうなりかけているけど、働いている人たちが生き生きとして、現場からアイディアがぽんぽん出てくるような職場を作って欲しいってことかな。
息子たちから牧場をああしたい、こうしたいって思いが出てきたのは、僕ら先代の人間たちが築いたものの中に、気づきがあったからだと思うんです。それを拾い上げて生まれた彼らの思いを汲んで、僕らは後押ししてきました。今度は彼らが、うちに入ってくる若い従業員たちの気づきをどうやって北広牧場にフィードバックしていくかが大切。それが回っていくと達成感とともに、もうちょっとやりたいなあっていう気概が現場から生まれてくるし、それは牛を見る目や育てる部分にも共通するものがあると思うんです。そういう気づきができる会社がいいですね。
理想的には、日本一なら日本一って目標を掲げて、じゃあ何があったら日本一になるのかをそれぞれ自分自身で考えてもらえるような職場にしたいし、それができるんじゃないかと期待していますよ。いいチームになってきているから。

会長:私たちがこういう感じですから、若い人たちが何か話してくれれば聞きますし、一緒に飲むと今度は私が語り始めます(笑)。私はもう現場は引退する身ですが、経営面はしっかりやりますからね(笑)。

スタッフ

 

 

※1 ガット・ウルグアイラウンド
ガットとは1948年に締結された「関税及び貿易に関する一般協定」貿易自由化を通じて、生活水準の向上・完全雇用の実現・持続的な経済成長等の実現を目指す多国間協定。1947〜1993年で計8回のラウンド(多国間交渉)をウルグアイで開催。日本の農業も自由化を迫られ、1994年、農産物も他の工業製品と同じように内外無差別で自由化するという「原則」で合意。畜産の分野においては1993年以降毎年度、生乳換算で約137千トンの指定乳製品等を輸入する(カレント・アクセス輸入)、法律で定められた関税等を支払うことにより誰でも指定乳製品等を輸入できるようにする(指定乳製品等の輸入の関税化)などといった大きな変化があった。

※2 フリーストール牛舎
主に、牛の通路・牛床(牛の寝床・休息場所)・飼槽・飲水設備・糞尿搬送設備で構成される乳牛の管理牛舎。 牛は自由に歩いて、採食・飲水・休息などの行動ができる。大規模な酪農家や搾乳ロボット農場、農事法人の酪農関係部署での導入が多い。

※3 ミルキングパーラー
主にフリーストール式牛舎の牧場で使用される搾乳専用施設で、一度に8〜12頭くらいの乳を搾る方式。 搾乳の時間に牛をミルキングパーラーに入れ、酪農家がミルカーを装置して搾乳を行う。